ロシア と ウクライナ 何 が あっ た
- rebecca158myers15
- Sep 18, 2022
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ロシア軍がウクライナに侵攻するまでに、世界で何があったのか?(解説)【再掲】 【キーウ(キエフ)AFP時事】ウクライナ南部オデッサの当局者は23日、オデッサ港にロシア軍によるミサイル攻撃があったと発表した。 イスタンブールでロシアと穀物輸出再開の合意に調印した翌日の攻撃を強く非難している。 オデッサ当局は声明を出し「敵は巡航ミサイル『カリブル』でオデッサ港を攻撃してきた」と主張。 「うち2発は撃墜したが、2発は港のインフラを破壊した」と明らかにした。 ウクライナ外務省報道官は「合意の達成に大変な努力を注いでくれた国連のグテレス事務総長とトルコのエルドアン大統領の顔に、ロシアのプーチン大統領は唾を吐いた」と批判した。 「合意を履行できなくなれば、世界の食料危機悪化の全責任をロシアが負うのだ」と訴えた。 国連のハク事務総長副報道官も声明を出し「事務総長はオデッサ港攻撃を明確に非難する」と発表。 「ロシア、ウクライナ、トルコによる合意の完全な履行は必須だ」と呼び掛けた。 トルコのアカル国防相は「このようなことが合意の後に起こり、懸念している」と発言。 「ロシア側はわれわれに、今回の攻撃に全く関係しておらず、詳しく調べていると話した」と明らかにした。 欧州連合(EU)のボレル外交安全保障上級代表(外相)はツイッターに「イスタンブールでの調印から一夜明けたら穀物輸出の中心施設を狙って攻撃した」と書き込んだ。 「ことさら非難に値する。 国際法も国際的な約束もロシアは完全に無視することがまた示された」と強く非難した。
【詳しく】ロシアがウクライナに軍事攻勢?その背景に何が?
ロシアのウクライナ侵攻の先がみえません。 いかなる理由があったとしても30年以上続く主権国家を軍事力で圧殺しようとの試みは言語道断。 とはいえ、ここまで来ると「プーチンは何を考えているのか」が気になるのも事実。 彼の論文などから探りつつ1000年以上前の歴史をひもといてみました。 プーチンがいう「歴史的ロシア」「一体性」とは ロシアのウクライナ侵攻で21年7月にプーチン露大統領が発表した「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」という論文が改めて注目されました。 ロシア人もウクライナ人も「歴史的ロシア」においてきょうだいであると。 その淵源は9世紀に興った キエフ大公国(~1240年)。 リューリク家が統べる国家で「東スラブ」(今のロシア、ウクライナ、ベラルーシなどを指す)によって栄えていましたが モンゴル帝国に滅ぼされた王朝です。 リューリク朝は分割相続していたため年を経るごとに国内にいくつもの君主を抱える二重支配的傾向を帯びます。 現ロシアの源流ともいえる モスクワ大公国もその1つ。 やはりモンゴルに従ったものの1480年、イヴァン3世が事実上の独立を果たします。 ロシア・ポーランド戦争の結果 その頃、現ウクライナの多くが ポーランド(ポーランド・リトアニア王国)に支配されていました。 1654年~67年の「 ロシア・ポーランド戦争」の結果、ロシアはポーランドから キエフと現ウクライナ東部を得ます。 ポーランド分割の結果 「女帝」として名高い皇帝 エカチェリーナ2世(在位1762年~96年)は1793年・95年の「 ポーランド分割」にかかわって現ウクライナ 西部の多くを獲得しました。 ただし72年の第1回分割では最西端の リヴィウなどガリツィア地域をオーストリア帝国に帰属されるのを認めました。 オスマン帝国とクリミア半島 南部の クリミア半島周辺は少々状況が異なります。 モンゴル帝国に連なるクリミア・ハン国が支配していましたがエカチェリーナの治世時にはオスマン帝国の保護下となっています。 そこで1774年、エカチェリーナ2世はオスマン帝国と条約を結んで「クリミア・ハン国の独立」をオスマンに認めさせる形で一帯を実質的に獲得した上で83年に派兵してハン国を滅ぼします。 第1次大戦の単独講和とウクライナ民族意識の高揚 その後もロシアの西南への勢力拡大は続きましたが1917年に勃発した ロシア革命が大きな転機となったのです。 折しも第1次世界大戦中。 革命政府は戦っていたドイツやオーストリアと単独講和。 バルト3国やフィンランドを失います。 さらにドイツ敗戦で幕を閉じた後のヴェルサイユ条約で分割以降ロシアなどに服していたポーランドが正式復活。 敗戦国オーストリアからガリツィア地域などが割譲されたのです。 この混乱期にウクライナの民族意識は高揚し、 ウクライナ人民共和国の成立を宣言。 ドイツとその名で講和して対ロシア戦の援軍と頼むも後に反目。 さらにドイツが降伏し、ロシア赤軍に席巻され、共産系のウクライナ社会主義ソビエト共和国「建国」を余儀なくさ
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